贖 い
残念ながら私たちには罪があります。
そう言われると、私は犯罪を犯したことはないとお考えになる方も大勢いらっしゃるでしょう。しかし、あなたは嘘をついたことはないでしょうか。
嘘は罪です。嘘をついた相手の人に対して罪であるとともに、神様に対して罪なのです。
神様は完全に正しい方で、一つの罪も見逃すことなくおさばきにならざるを得ません。人間の社会でも、犯罪を見逃してそれを放置すれば、その社会はやがて崩壊します。神様が罪のさばきを行うことは当然ではないでしょうか。
神様の罪のさばきとは、罪を犯した人を永遠の滅びに入れることです。
「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル人への手紙9章27節)
しかし、神様は完全に義であると同時に、完全な愛をお持ちのお方です。ご自分が創造した人間を永遠の滅びに入れたくはありません。
どうしたら、愛と義を両立させることができるでしょうか。人間には不可能なことですが、全能者である神様にはおできになります。それが贖いです。
イエス・キリストが十字架で私たち罪人に代わって裁きを受けてくださり、死んでくださった、それが贖いです。私たちの罪の裁きは2千年前に終わっているのです。人間の社会では身代わりは認められませんが、愛である神様はお認めになります。
「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」(ローマ人への手紙3章24節)
では、私たちのしなければならないことはないのでしょうか。一つだけあります。イエス・キリストの十字架の死を自分の罪のためであったと信じることです。その信仰によって、私たちの罪は赦され、永遠のいのちが与えられます。これが聖書の語る福音です。集会においでになって、福音について詳しいことをお聞きになられるようにお勧めいたします。