「あなたのことばは聞かれている」
「あなたが心を定めて、悟りを得ようとし、自分の神の前で自らを戒めようとしたその最初の日から、あなたのことばは聞かれている」(ダニエル書10章12節)。
バビロンに捕囚となっていたダニエルは、ネブカドネツァル、ベルシャツァル、ダレイオス、キュロスと国や支配者が変わっていく中で、変わらず忠実に唯一の真の神に仕えました。苦労も多く、敵対者もいる中で、しかしダニエルはいつも神に祈っていました。それは法令によっても止められませんでした。
そして、心を定めた若い頃から、彼の祈りは神様に聞かれていました。目の前の様々なことに対して個人的に祈ることもあり、民族の回復、捕囚からの解放についても祈ったでしょう。すぐに応えられたものもあれば、時間のかかるものもありました。しかし、そのすべては「聞かれている」のでした。これは私たちにとっても慰めであり励ましです。
ご在世時の主イエス様は、いつも祈っておられました。祈りの面でも私たちの素晴らしい模範者です。「あなたはいつでもわたしの願いを聞いてくださると、わたしは知っておりました」(ヨハネの福音書11章40節)。
私たちは、時に神様が本当に祈りや願いを聞いておられるのか不信仰になってしまうことがあります。しかし、主イエス様は、御父がいつでも聞いてくださり働いてくださると知っていました。
では、十字架の場面ではどうでしょうか。ゲツセマネの園で祈られたとき、ゴルゴタで木にかけられるとき、御父は御子に応えることばを発しませんでした。しかし、へブル人への手紙では、「自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました」(へブル人への手紙5章7節)。とあります。イエス様は十字架から降りること、この杯が過ぎ去ることを願いましたが、それ以上に父のみこころがなされることを求められました。イエス様へのさばきが取り去られることはなかったけれど、御父のご計画は成し遂げられ、そしてイエス様は死とよみから救われてよみがえらされ、天に引き上げられました。
人の目には聞いてくださらないように見えるときも、神様は私たちの祈りと願いを聞いてくださっています。そのことを信じ続けたいと思います。